「忘れる」という観点から「君の名は」を読み解く

世の中に1年以上遅れて、「君の名は」を見ました。

僕はアニメの専門家では全くありませんので、詳しいことはわかりませんが、テンポや絵もよく、非常に楽しく見させてもらいました。

その中で、ストーリーに関しては色々と思うところがあり、世の考察サイトをいくつか読ませてもらったんですが、どうも僕の気になったポイントとは観点が異なるものが多かったので、自分の整理のためにも自分なりの分析を書いてみようと思いました。

 

 

1.ストーリーは一般化され理解・共感される

 

 僕がまだ小さな頃、山崎豊子の「大地の子」という小説を読んだことがある。

 太平洋戦争後、中国に残留孤児として残された小さな男の子が、中国の地で苦しみもがきながら

 成長し、やがて日本人の父親と出会う。

 父親は、彼に「日本に戻ってこい」という話をするが、彼は、「私は(中国の)大地の子」だ、とそれを断り、彼の地で生きていくという物語だ。

 僕は、このセリフに痛く感動し、こんなセリフを言わせるに至った「中国の大地」をいつか見てみたいと思い、その旨を自分の父に話した。

 父の返答は、「生まれ育った場所は特別だ、ということだ。それは国の問題ではない。私にとっても故郷は特別な場所だ」というものだった。

 こういう風に、ストーリーというのは、独自のものから、一般化され、共感される。

 「君の名は」はSFに分類されるような物語構造をしているため、僕らの身には起こり得ないはずだけど、恋愛とそれに伴う障害の克服物語だと一般化してしまえば、理解し、共感できるし、自分の身にも起こっている/起こり得る、と思わせることができる。

 

2.「君の名は」の着想

 

「君の名は」の着想については、新海誠監督が次の通り、インタビューで答えている。

 

「着想のきっかけはいくつかありましたが、ひとつは小野小町の有名な和歌です。

「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせばさめざらましを」

 好きなあなたを夢で見た、夢だと分かっていたならば目覚めなかったものを——そういう歌です。

 

この和歌が重要なのではなくて、きっかけはいくつかあるという点が僕にとってはポイントで、おそらくその中に、「人と人は出会った瞬間に恋に落ちることがあるけれど、これは何故なのだろう?」という疑問があるのではないかと思う。

この問いに対して一つの可能性を提示するのがこの物語の趣旨の一つではないかと考える。

 

3.「君の名は」における物語のキーは「忘れる」

 「君の名は」という物語における最も大きな装置は「入れ替わり」だし、「時空を超える」だ。

 でも、キーは「お互いのことを忘れてしまう」ということなんだと思う。

 いくつもの困難を協力して乗り越え、お互いへの想いを確実なものにする、でもお互いを忘れてしまう。

 ただ、この想いの残滓のようなものは残っていて、「誰か、何かと出会うために生きている」という一般化につなげることができる。そしてこの一般化された物語に対して、人々は共感することができる。

 「もしかして、私達がお互いに好意をもったのは、忘れてしまった過去に特別な何かがあったからなのかもしれない」、「ひょっとすると僕にも忘れてしまっている出会うべき人がいるのかもしれない」

 普通に考えればそんなことありえないんだけど、「忘れてしまう」という要素を取り入れることで、可能性として誰も否定をすることができなくなっている。

 

4.「運命の人と出会う」モチーフは繰り返し流行している

  1980年台末に、「僕の地球を守って」という漫画が流行したそうだ。

  これは前世の繋がりが今生に影響を与える、という物語なのだけど、世の青少年・少女達の間で爆発的に流行して、雑誌なんかで「私の前世は○○です。前世で繋がりのある方を探しています」のような募集をして、出会うということが頻繁に行われていたそうだ。

「今は忘れてしまっているけど、出会うべき人」を探すというのは非常にロマンチックだし、繰り返し繰り返し流行している。

(「君の名は」の主題歌が「前前前世」なのも、「運命的に出会った人」に「運命を感じる」理由として、このモチーフが用いられているんだと思う)

 

5・「忘れる」を必然とするための装置

 大きな装置の「入れ替わり」は眠っている間に起こる夢であるというセリフが出てくる。

 そして夢は徐々に忘れてしまうというセリフも出てくる。

 夢の出来事であるから「忘れる」ことが必然だし、物理的に残るはずのもの(携帯の日記)が消えてしまうのもまた必然なのだ。だから、「入れ替わりは」眠っている間におきないといけなかった。

 もう一つは、御神体の存在。僕らは眠っている間に見た夢の出来事の中でも、ちゃんと一部を記憶していることがある。この間こんな夢を見てさ―という話ができるのはそういうことだ。「忘れる」を完遂するためには、これさえも消してしまう必要があった。

 そこで、御神体という、「一番大切なものと引き換えに奇跡を与える存在」に、代償として、お互いの記憶を差し出す必要があった。

 

6.「忘れる」ために邪魔だったもの

 「組紐」だけは少し特殊な装置として、物語の中に現れる。

 これは、瀧と三葉が物理的に接触した時に手渡されたものだから、「夢の中の出来事」という風に消えてなくならない。

 「忘れる」を完遂させるためには、これが邪魔だったし、だからこそ、瀧から三葉に返還されなくてはいけなかった。

 瀧のどういった感情が、組紐を返還させたのかイマイチわからないけど、物語の装置して考える時には、あれはかならず返還されなければいけなかったのだ。

 

7.「忘れる」ことで残るもの

  瀧と三葉は物語の最後で「(再び)出会う」。

  この時に記憶は残ってないんだけど、二人は強烈に惹かれ合っている。

  「忘れる」ことで浮かび上がってきたのは、想いの本当に核のような部分だということを伺い知ることが出来るし、僕らが人を強烈に好きになるのも、そういうものが本当の原因なんじゃないのか、なんて考えたりする。

 

 

もし、僕が書いている仮設が正しいのであれば、新海誠監督は、「人に届ける」ということを非常に意識されて映画を作られたのだと思います。個人的には、言の葉の庭のミニマル感の方が好きですが、「君の名は」は売れるべくして売れた映画なのだと本当に思います。