メンタルヘルス疾患覚書

家族にカウンセラーがいたり、僕自身大学時代に心理学を勉強していたり、身内にメンタルをこじらせて自殺した人がいたり、友人に心理的な不調から男の人と寝まくる女の子がいたり、メンタルヘルス疾患と関わり合いになることが多く、昔からその領域には大変興味を持って生きてきました。

もちろん専門家ではありませんので、大したことは言えませんが、これまで僕が見聞きし、学んだことをまとめておきたいと思います。

 

(1)メンタルヘルス疾患はただの病気である

メンタルヘルス疾患の話をする時、それを特別な状態だと捉えすぎると本質を誤ってしまう。それは、普通に起こるものだし、自然な体の反応である。

メンタルヘルス疾患があるからといって、特別な誰かになれるわけではないし、逆に言えば、それだけでは普通の人間である。

かつて「ペスト」に罹ることに特別な意味をもたせようとする人がいるように、メンタルヘルス疾患に罹っていることを特別な何かと思い込みたい人もいると思うけど、それは滑稽だなと思う。

 

(2)誰にでもメンタルヘルス疾患になる可能性がある

メンタルヘルス疾患にかかったきっかけを掘り起こしていくと、「実の父親性的虐待を受けた」なんてセンセーショナルなものが見つかることもあれば、「小さな頃、親に無視された」なんて誰にでも起こり得ることが見つかることがある。もちろん、僕にも無視された経験ぐらいはある。でも現在メンタルヘルス疾患ではない。ただ、いつかこの無視された経験が僕をメンタルヘルス疾患にするかもしれない。

それはすぐ僕らの横にいる。これもメンタルヘルス疾患が特別な何かではないということの証左の一つだと思う。

 

(3)メンタルヘルス疾患は、絶対に治さなければいけないというものではない

夜眠れない。異常なほど潔癖。電車に乗れない。メンタルヘルス疾患の症状でよく聞くものばかりだけど、別に生きていく分には致命的なものではないと考えることもできる。もちろん治療できるにこしたことはないのかもしれないけど、今すぐ死ぬようなことでもない。それは例えばヘルニア持ちと同じで、死ぬまで付き合っていくこともできる。「治さないと自分は普通ではない」なんてことがプレッシャーになってしまうなら、いっその事ずっと付き合っていく、と開き直っても良い。程度や種類の違いさえあれ、誰もが何かを抱えて生きている。それも含めて自分なんだから。

 

(4)メンタルヘルス疾患を抱えていても幸せになってもいい

不眠症リスカ癖、過食症、「だから」幸せになれない、わけではない。

世の中には、目が見えなく「ても」、耳が聞こえなく「ても」、若くして末期ガンを宣告され「ても」、幸せに生きていっている人もいる。

間違えないでほしいのは、別に幸せにならなくてもいい。自分の人生なんだから、自分でどうなりたいかは決めればいい。「幸せ」ではないからと言って生きる意味がないわけではない。それは一つの価値観にしかすぎない。

ただ、「幸せ」になりたいのであれば、別にメンタルヘルス疾患を抱えていてもなればいい。自分なりの幸せを実現するために、疾患は「邪魔」かもしれないが、「不可」になるわけではない。もちろん誰かを愛しても、愛されても良い。

何度も言うけど、誰にでもメンタルヘルス疾患を発症する可能性はある。「今、発症していること」と「まだ発症していない」ことの間にはそこまで大きな差はないと思う。だから、「まだ、発症していない人」と同じように愛し、愛されても当然だと思う。

 

(5)カウンセリングは治療にも予防にもなる

メンタルヘルス疾患になったら、カンセリングに通う、というのは太ったからダイエットをするようなもので、太らないようにジムに通うようにカウンセリングに行けばいいと思う。自分が思うよりも、自分というのは傷ついていて、なにかに我慢している。一体それは何なのか、同対処していくべきものなのか、専門家と相談するだけで対処できる幅は広がる。

 

あくまでも僕が感じ・考えたことを学んだだけですので誰の役にも立たないかもしれませんが、もし、この文章を読んで少しでも楽になったと思ってくれる人がいれば大変うれしいです。