忘れられない女の話3

初めて彼女の存在を意識したのは、僕がまだ小学4年生の頃で、今からもう25年も前になる。

彼女はとても背の高い女の子で、少し茶色がかったショートヘアーの似合う、とてもかわいい女の子だった。僕はその時一瞬で恋に落ちてしまった。いわゆる初恋だ。そこから僕らは仲良くなり、同じ中学に進んだ。彼女は高い身長を活かしてバレーボール部に入った。ずっと彼女が好きだった。彼女が誰のことが好き、なんて話を聞くたびに胸が苦しくなった。彼女の笑顔を見るたびに、僕のものにしたいと願った。少しでも彼女の好みに近くなれるよう髪の毛も伸ばし、制服のズボンも細身に変えた。でも僕は生まれつきのくせ毛だし、ずっと続けていた剣道のせいなのか足も太かった。彼女を振り向かせることはできなかった。それでも僕の思春期は全て彼女への想いで満たされていた。読む小説全ての主人公が彼女の顔で脳内再生された。流れてくるラブソング全てが僕の彼女への思いを歌っているように思えた。

 

いつしか僕らは高校生になる。僕らはとても離れた高校に入学し、疎遠になる。

もし、このままにしておくと、彼女には彼氏ができ、キスをして、セックスをする。可愛い彼女を誰も放っておくはずなんてない。日に日に想いと焦りは大きくなり、僕を支配した。

僕は意を決して彼女を呼び出し、付き合ってくれるようお願いをした。夏の夜、彼女は真っ白なワンピースを来ていて、そこから伸びる真っ黒な腕がやけにきれいだったことを覚えている。

土下座でもしそうな勢いに、彼女はOKをしてくれた。ちょうど彼氏が欲しかったのだと。

僕らは2ヶ月くらい付き合ったけど、やっぱりすぐにだめになった。彼女の彼氏になれた瞬間から彼女を失うのが怖くなった。失敗するのが怖くなった。僕は何もできなかった。電話も、会いに行くことも何もできなかった。自分の気持ちの重さに自分自身が取り憑かれてしまった。僕は人生でたった一度のチャンスを逃した。多分僕の思春期はここで終わっている。この後、2度と女性に幻想を抱くこともなかった。それでも想いが消えることはなかったけど。

 

 

その後僕は吹っ切れたように女の子と遊び始めた。必死に金をためて、はやりのドラマの主人公と同じ格好(ブルーブルーの服、レッドウィングのブーツ)をし、髪を染めてパーマをかけた。美容院に行き始め、ミュージックステーションには出ないタイプの邦楽を聞き始めた。

少しでもいいなと思う女の子のにはとにかく連絡先を聞き出し、脈がありそうな反応をする女の子は誘い、姉の友達(5歳上)に童貞を捧げた後、やれそうな女とやりまくった。最高で6股をかけていた。素晴らしく怠惰で生産性のない、高校生活だったと思う。

彼女の噂もちらほら聞こえてきた。どこそこの人と付き合った、処女じゃなくなった、やり捨てされた、その度僕の心は張り裂けそうだった。新しい女の子を見つけて、処女をもらうことでなんとかごまかしていた。

 

彼女と再会するのは成人式だ。僕は地元の友達が一人もいかないような中途半端に遠い国立大学に入学して、周りの女子短大の女の子たちと遊びまくっていた。大学には殆ど行かず、ナンパコンパナンパコンパ。女の子には困らなかった。キレイで派手な女の子たちと沢山セックスをした。彼女たちの家を渡り歩くことでお金にも困らなかった。

 

そんな頃、成人式で彼女に久しぶりに会った。僕は彼女と会うのを楽しみにしていた。垢抜けた僕を見てほしかった。きっと他の子と同じように振る舞えると思っていたし、うまく行けば他の女の子と同じように、遊び相手の一人にできるかもなんて考えてた。

彼女は薄い黄色の振り袖を着ていて、相変わらずのショートヘアーが昔より少し明るくなっていた。ひと目見た瞬間、まだ自分が彼女のことが好きで、思いは何も変わっていなかったことに気づいた。絶望的なくらい彼女が好きで、彼女を前にすると自分は何一つ変われていなかったことに気づいた。

沢山の女の子と遊んでも、読者モデルを抱いても、社会人の彼女にお小遣いをもらう生活をしていても、何も変わってなかった。

 

僕はなんとか彼女から電話番号を聞き出し、次の夜に電話した。僕らの家はとても近かったので、二人で会おうということになった。ちなみにそれまでに、その当時遊んでいた女の子たちには、お別れのメールを送った。もう他の誰のことも考えられなかった。

会った僕らは他愛のない話をした。話は嘘みたいに盛り上がった。彼女はあの頃こんな風に話せてたらね、なんて言った。僕は黙ってしまった。彼女の言うとおりだった。あのころこんな風にできてたら、今でも一緒にいれたかもしれない、なんて考えたら、辛すぎた。しばらくの沈黙の後、僕は意を決して彼女に、今でも好きだと気づいた、と伝えた。ずっと好きだった。初めて会ったときから、もう本当にずっと君だけが好きだと伝えた。彼女からキスをしてくれた。はじめは遠慮がちに、その後、徐々に激しく。体なんて触り合ってないのに、今までしたどんなセックスより気持ちよかった。

どれくらいキスしてたんだろう。きっと10分とかそれくらいなんだろう。彼女の携帯電話が鳴って、「帰らなきゃ」と彼女が言った。僕は帰らないで、ずっと側にいたいとすがった。彼女はまた連絡するね、と僕に言って、最後に軽いキスをしてくれた。そしてさよならした。

1ヶ月経っても彼女からの連絡は来なかった。僕は毎日毎日彼女とのキスの事ばかり考えてた。こらえきれず彼女に電話した。この電話番号は使われておりません、という機械的なメッセージが流れた。共通の友人に聞いたところでは、彼女は以前から年上の彼氏と付き合っていて、それを親に反対されており、二人で逃げたということだった。そこから10数年彼女は正真正銘の行方不明になった。

 

僕はまた以前のような女遊びの生活に戻った。0からリブートするのは大変だったけど、それなりに女の子と遊び、今のかみさんと出会い、結婚した。もう彼女のことを思い出すことはなかった。でも、電話番号を変えることはできなかった。

 

彼女の行方が判明したのは3年前のことだ。僕らの街から2時間程の距離になる小さな街のスナックで同級生が見つけた、という噂が回ってきた。僕は場所を確認し、すぐに新幹線に飛び乗った。別に気持ちが揺れてたわけじゃない。もう、時間は巻戻らないし、さすがにもう10年以上の時がたっていた。

スナックの扉を開けると、禿げたおっさんのセクハラを交わす彼女の姿が見えた。相変わらず背は高く、派手な黄色のドレスに、髪は昔よりもっと明るい茶色になっていた。すぐに彼女も僕に気づいた。僕は逃げ出すように店を飛び出て100メートル程のところで止まった。振り返ると高いヒールで彼女が追いかけてきていた。

「逃げないでよ」、彼女が言った。僕の大好きだったとてもかわいい顔で。

「ごめん」という一言だけ絞り出せた。彼女の顔には逃れられない年齢の影があったし、少し肉付きが良くなっていた。化粧は濃くなり、むせてしまうくらいの甘ったるい香水の匂いと、タバコの臭いがした。それでも彼女だった。間違いなく、彼女だった。

 

彼女は僕を近くのファミレスで待たせて、店に戻っていった。1時間ほどで彼女が戻ってきた。この10年間、彼女に何があったのか、僕は知ることになった。聞きたくないな、なんて思いながら聞いていた。あの夜のようにただ楽しく話せればよかった。でも、僕らの間にはもう、そんな話題なんて生まれ得なかった。彼女は僕の暮らしを聞いてきた。僕はそれに答えずに、お金に困ってるの?と聞き返した。彼女は少し驚いた後、小さく頷いた。僕は、彼女の店でいいボトルでも頼んであげようなんて思って引き下ろしてきたお札を無理やり全て彼女に握らせて、そのまま店から出ていって、また電車に飛び乗った。

彼女は追いかけてこなかった。電車の中でずっと初めて付き合った日のことを思い出していた。

あの時何もできなかった僕は、10年以上の月日を経て、ほんの少しの抵抗ができるようになった。あの頃一瞬だけ感じられた幸せな思い出をぶち壊すことだけできた。金でもって彼女のプライドを少しだけ傷つけ、僕自身の気持ちに完全に整理を付けたことだけできた。僕はそのことに満足も,後悔もしていない。他にできることは何もなく、できることをしただけだ。

 

今でも電話番号は変えていない。でも彼女から連絡はない。

毎年夏の夜になると告白した日のことを思い出す。彼女は真っ白なワンピースを来ていて、そこから伸びる真っ黒な腕がやけにきれいだった。

夏が来る限りは、彼女のことを忘れられないんだと思う。