忘れられない女の話4

女の人から「抱いてほしい」とお願いされた経験は数少ない。

僕は放っておいても女の人が寄ってくるような所謂モテる人間ではない。

 

ただ一人にだけ、「お願いだから抱いてほしい」と懇願されたことがある。

その女性の話をしたいと思う。

オチもなく、盛り上がりにも欠ける話だけど、それでも書きたいと思う。

 

 

僕がまだ地方の国立大学生だった頃、大学の映画研究会(サークル)に出入りしていたことがある。

正式な会員ではなかったが、一人とても仲の良い友人が所属していて、一緒に映画を撮り始めたことがきっかけで頻繁に出入りしていた。

映画研究会には、10人位のメンバーがいて、彼女はそのうちの一人だった。

僕より2つ年下の彼女は、決してキレイな顔をしているとは言えないが、

ちゃんとおしゃれにも気を使う、普通の女の子だった。

そして、彼女は、僕の仲の良い友人の恋人だった。

 

彼女には、僕が脚本を書いた映画に出演してもらったのを機に仲良くなった。

僕らはともに古いイタリア映画が好きで、特にフェデリコ・フェリーニが監督した

8 1/2という映画が大好きだった。友人と彼女と僕、友人宅で夜通し古いヨーロッパ映画を見まくっては、拙い映画論を交わしていた。ジャンリュックゴダールフェデリコ・フェリーニフランソワ・トリュフォーエリック・ロメール。古くて、難解で、退屈で、美しい映画達。友人と彼女が教えてくれる手法、映画の中にある思想・哲学。全てが特別だった。

もし、僕の目の前に神様が現れて、1日だけ過去に戻してあげると言われたらあの頃に戻りたい、そう思うくらい大切な日々だった。

 

そんな生活が1年程続いた頃に、僕の友人がイギリスの大学に留学することになった。

友人と彼女は別れなかったようだが、残された僕と彼女は疎遠になった。

やはり友人に悪いという気がしたのもあるけど、それ以上に3人だから成立していた

バランスだったんだと思う。

友人がいなくなった後の僕は、映画研究会自体にもほとんど出入りをしなくなったし、

彼女と会うこともなかった。そして、僕はまた女遊びの日々を繰り返していた。

 

彼女から連絡があったのは、友人が留学してから半年ほど経ったある日だった。

夜中、僕がそのころ仲良くしてた女の子の家で寝ていると突然彼女から携帯に電話があった。出ると、息切れた苦しそうな声で彼女が言った。

「助けてほしい。今すぐ家まで来てほしい」

僕は大急ぎで彼女の家に駆けつけた。原チャリで。レッツ2で。2号線を飛ばして。

 

一人暮らしのアパートについて、呼び鈴を押しても彼女が出てこなかったので、ドアを開けて中に入った。彼女は電気もつけず、ベッドに横たわって、口に紙袋をあてながら、僕の方を虚ろな表情で見ていた。紙袋は、不規則に縮んだり、膨らんだりを繰り返していた。

僕はタクシーを呼んで、夜中でもやっている救急病院に彼女を連れて行った。

診断はストレス性の過呼吸。「症状が収まるまで待つしかない」という、若い医者に僕はつっかかり、彼女に無言で止められた。

帰りのタクシーの中で少し落ち着いた彼女から聞いた話では、彼女は中学生の頃からそういう症状をもっていたそうだ。症状は回復と悪化を繰り返していたが、友人と付き合い始めたことで精神的に安定し、ここ数年は症状が出ていなかったそうだ。ところがというか、やはりというか、友人がいなくなってその症状が再発。定期的に過呼吸の発作が出る生活を送っていたそうだ。

 

「対処法はないの?紙袋以外に」と僕は彼女に聞いた。

「ある。男の人とセックスすると楽になる」と彼女は虚ろな表情で答えた。

「セックス?そんなにしんどいのにできるの?なんでそれで収まるの?」

「理由はわからない。でも、できるし、すると楽になる」

「でも、友人が側にいないからできないじゃないか」

「だから、最近は他の人としてる。沢山、色んな人としてる。研究会の人たちとも」彼女はなんの感情も載せていない言葉で僕にそう言って、「今日は誰も捕まらなかった。だから先輩に来てもらった」と続けた。

「僕とセックスするつもりだったってこと?」

「うん」

「ごめん。それは無理だ。ごめんな。でも、大切な友人の彼女だし、できることはしたい。病院ならいつでも連れてくし、

一緒に映画見たりはできるから連絡はして。その代わり友人を傷つけてほしくないから、出来る限り他の男としてほしくない。」

 

それから数週間に一度は夜中に彼女から電話がかかってきて、彼女の家に向かう日々が続いた。

紙袋をあて、虚ろな目をしている彼女の手を握り、暗がりの中でフェリーニの映画を見続けた。『道』『81/2』『甘い生活』『カリビアの夜』

時々彼女は苦しそうな呼吸で僕に懇願した。「して。お願い。して」。目に涙を浮かべて。消え入りそうな声で。「して」

僕は断り続けた。彼女の手を握り、時には抱きしめて、彼女が寝るまで側にいたけど、やっぱり断り続けた。何度懇願されても。抱きつかれてもすがられても、どうしても僕にはできなかった。友人に操を立てる、ということもあるけど、今になって考えると僕はやっぱり怖かったんだと思う。過呼吸で今にも死んでしまいそうな(実際そこまで大したことではないのかもしれないけど、その頃の僕にはそんなこと理解できなかった)人間とセックスをするということがとてつもなく怖かったんだと思う。それはある種のトドメとなってしまうのではないかそんな風に思っていたんだと思う。そして、若い僕には死というものは恐ろしいだけでなく、得体の知れない、気持ちの悪いものだったんだと思う。

 

そんな日々をしばらく、おそらく2,3ヶ月続けていると、バタリと彼女から電話来なくなった。研究会のメンバーにきいたところ、僕が通ってる間も、やはり彼女は他の男に連絡していて抱いてもらうという日々を続けていたそうだ。その中に研究会のメンバーも複数いて、やっぱり会の中でトラブルになり、研究会を抜けていた。最近は大学にも来ていない、とのことだった。

 

そして、ここで彼女との思い出は終わっている。彼女からの連絡はなく、僕も二度と彼女に連絡をとらなかった。

大学で出会うこともなく、共通の友人ももういない。

その後友人に聞いた話では留学して少しした頃に彼女と友人は別れていたそうだから、友人経由で知ることもない。

そういう意味では、僕は友人の女に手を出さないというポリシーの面では、彼女を抱いても問題はなかった。

何故彼女が僕に別れたことを言わなかったのかはわからないが、あくまでも僕と彼女との関係は、友人ありきで、それがないことを僕が理解すると、関係自体が終わってしまうと思っていたからではないかと愚行する。

 

彼女が今どこで何をしているのか、症状はどうなのか、今でもセックスをすることで抑えているのか。残念ながら興味はない。例え、電話があってももう駆けつけることはない。レッツ2ももうない。

 

でも、フェリーニの映画を見るたびに彼女のことを思い出す。あの暗闇の中、手を握り続けた日々を思い出す。そして、できれば忘れてしまいたい、でも決して忘れられない女性なのだと、思う。

 

 

 

 ※無職転生を読んだ人ならわかると思うんですが、エリナリーゼの呪いの話を読むと彼女のことを思い出します。